最近、中学生時代の技術の授業を受け持っていたS先生のことを思い出す。

当時先生は確か30歳前後で、ちょっとマッドサイエンティストな感じを漂わす風貌をしていた。
話していると結構面白いジョークを言ったり、まあ割と生徒と目線が近い若い先生ということで一部の女子生徒から人気があった(多分)

しかし授業となると大変厳しく、授業の始まるチャイムまでに技術室に入り、黒板の前にピシッと座ってノートと筆記用具を揃えておかないとメチャクチャ怒る先生だった。
少しでも遅れていくと正座をさせられ、手こそ出さないが、凄まじい罵声を浴びせられ、ケチョンケチョンに蔑まされて半泣きになるほどだった。
先生の「○○が○○となります。わかりましたかー」の声にも、必ず全員で大きな声で「はい!!」と返事しないと、これまた「なんで返事しない!」と怒号が飛ぶ、そんな感じでした。

授業冒頭は、黒板に予め先生が書いておいた今回の授業での工程を生徒ひとりひとりにみっちりとノートに書き込まさせられた。
先生は工程説明の挿し絵にタコのようなマイキャラを多用していて、その絵まで再現して自分のノートに描き写すようにと指示していた。

さっきも言ったけど先生は大変厳しくて、一工程一工程ごとに先生に仕上がりを見せて審査をしてもらい、その審査を通れば次の工程へ、という形での授業だった。
例えば木製のCDラックを作ったとき、紙ヤスリがけが甘いとやり直しをさせられた。
糸ノコでRにカットした部分のデコボコや、側板の部分をピカピカに光沢がでるまでヤスリがけをさせられ、基準とした光沢が無ければ何度だろうがやり直し。
そこを妥協して次の工程には決して行かせてくれなかった。

あと、鉋がけも教わった。
刃の出し方、加減、刃のしまい方、鉋自体の置き方、使用後は刃に油を塗っておくこと。
玄翁での釘の打ち方も。釘を打つ箇所への印の仕方、打つ順番、釘の沈め方など、全て細かく教えられた。

私は不器用なうえに怠け者の部類だったので、どの工程でも先生から何度も何度も何度もやり直しさせられたし、しょっちゅう怒られていた。
この先生の授業を受けていたみんなが「なんでこの先生はこんなに厳しいんだろう」とおそらく思っていたと思うが、
先生にもそれは自認があるらしく、ある日の授業で先生は私たちにこう言った。

「なんで俺がこんなに厳しく教えるかっていうと、それはなあ、ここが金物の町三条市だからだよ。ここで使っている道具を作っている三条というこの町に育つ君たちに、
中途半端なことは絶対に教えられないんだよ。三条の君たちに将来、「道具の使い方がわかりません」だなんて言って欲しくないんだ」

正直その時は「ふーんそっか、暑苦しいこと言ってるなこの人」くらいにしか思えなかったんだけども(←なんという劣等生)
それでもこの言葉は未だに忘れられない。

今となってみれば、こうして三条市のものづくりの現場に深く携わる者として、
三条市のいち企業として、恥ずかしいものを作るわけにはいかない」という矜持を持って仕事ができる事と、その気持ちを持つことの大切さ。
正しい道具の使い方、しっかりとした準備の先にこそ良いものを作ることができるのだということ。

自分の手で道具を使い、その大変な手仕事での作業によって出来る作品の素晴らしさと美しさ、出来上がった時の喜び。
整理整頓・道具の手入れ、定刻までに作業ができる準備を整えておく、社会に出れば当然のしつけ。

厳しくて声がうるさくって、正直言ってあんまり好きではなかった先生だったが、S先生の授業の姿勢とあの言葉に、本当に多くのことを教えてもらった。

今自分は木工屋に(腕の良しあしはともかく)なっていて、おかげさまで何とか仕事ができている。たまにだけど子ども達に木工体験教室などをする事もある。
S先生から伝えてもらった精神は、三条の子供たちだけでなく出来る限り多くの皆にわかってもらえればと思う。
S先生ほど厳しくはしたくないけど。

S先生は今どこで教鞭をふるっていらっしゃるのだろう。